DJをひと言で説明するなら、「音を選び出しリミックスするプロ」といったところであろうか。欧米諸国では、DJという職業は60年代から存在する。ベトナムでは若者たちがダンスミュージックを聴くようになったのはここ数年である。
ある日の夜、クラブSpaceshipにて全国新人DJ発掘コンクールが開催され、2,000人近くに上る若者が集まった。これは、DJのウェブサイトのオフラインイベントで、このコンクールに入賞したDJは、若者たちのカリスマ的存在となり、プロの道を歩むことになる。DJたちが腕を競い合ったこのイベントは5時間近く続いた。ハウス、トランス、テクノ、ヒップホップとジャンルも様々に繰り広げられ、彼らのリミックスによって創り出される音が観客を酔わせ、そして興奮させた。このクラブは、午後6時ごろからいつも客で混雑し出す。ダボッとしたパンツにスニーカー、頭をすっぽり包み込むキャップというヒップホップファッションの少年達が集まる。中には、ヒップホップの「ヒ」の字も知らないといった雰囲気の19〜20歳位の少女達も紛れ込んでいる。重低音が鳴り響き、店内はいつも活気に溢れている。
耳にはヘッドホン、手はレコードの上に乗せ、体を揺らし、時々シャウトする。観客の中に飛び込んでリズムに合わせて踊ることもある。月収1,000万ドン以上(約670ドル以上)のDJも少なくない。DJの仕事は一見とても簡単そうに見えるが、音を選びつなぎ合わせる操作をこなすだけではプロのDJは務まらない。音の流れを保ち何時間も継続させ、さらに、観客とコミュニケーションをとりながら彼らの心理を読みとり、その時々の客の反応に合わせた絶妙な音量加減で、盛り上がった空気を維持することも不可欠だ。レコードとレコードのつなぎ目で詰まるようなことがあってはならない。客に切れ目を感づかれたらすぐに罵声が飛んでくる。腕の良いDJは、レコードの摩擦音やクラクションのような音、鋸を引くような音、機械が壊れたような音など、奇怪な音声を使い分け、心地よいサウンドを作り出す。まさに音の“魔術師”だ。
技を磨くための自己投資も不可欠なため、収入が多くても支出も多い。まず、レコード収集に出費がかさむ。DJはCDやレコードを3,000〜4,000枚持っているのが普通だ。入手困難な状況下で、同業者のレコードを盗む者も少なくない。
海外でDJという職業が発展したのは80年代以降と歴史は浅いが、今では、大手レコード会社とのアルバム生産契約から、DJ業をサポートする機器の開発、大規模な野外ライブイベントなど、世界の音楽産業に欠かせない存在だ。グラミー賞でも表彰されるなど、今やDJはれっきとしたアーティストとして認められるようになった。
世界のトップDJとして活躍するPaul Oakenfold氏は、ベトナムの若手DJについて、「彼らの技とレベルは海外のDJたちに匹敵するね。特に、彼らが非常に限られた素材で、音を作り出し、イギリスや北米のDJたちよりも工夫を凝らしている点には敬服するよ。彼らは、アレンジするのに外国人DJの何倍も労力をつぎ込んで初めて、数時間客を楽しませることができるという状況の中で鍛えられている」と語る。Oakenfold氏は特に、DJ、Nguyen Dinh My Quyenさんを絶賛している。彼女は、現在、New Phuong Dongというクラブの専属で、ベトナムのナンバーワンDJの座に君臨する。
その他にも、巨匠と呼ばれるPhat P、そして、バーLe MinhのロングヘアーがトレードマークのLong、SpaceshipのHoang、Bar CoCoのVyは、DJ仲間から一目置かれる存在だ。“好戦士”という別名で知られるTuan Thanhのような学生DJも少なくない。25歳の彼は、建築を専攻する大学生で、DJのウェブサイトも運営している。Thanhは、一番難しいと言われているヒップホップの変化に富んだリミックスを得意とし、訪れた客を独特の世界へ惹きこむと評価が高い。
経験を積んだDJたちは、音のリミックスだけに留まらず、バンドを結成したり、クラブをオープンさせたり、歌手のプロデュースを行うなど、他の仕事も多く手掛けている。自分の音楽を創造すること、彼らの音楽に対する追求は尽きない。
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