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枯葉剤の後遺症、−ベトナム Ben Tre省−

 Ben Tre省は、ベトナム戦争中に米軍が散布した化学薬品により緑を全て失った“不毛地帯”の状態が長年続いた土地だ。これまで数十年間に渡り、枯葉剤の魔の手がこの貧しい土地に住む多くの家族を容赦なく悲惨な境遇へと陥れてきた。
 Chau Thanh県Phu Tuc村Phu My集落へ続く道は、対向車とすれ違う度に土埃が顔に降りかかり、私たちの視界を遮った。強い日差しが照りつける閑散とした集落から、不意に、「お父さん…。神様…」と不気味な声が響いてきて、身の毛もよだつ思いがした。Phu Tuc村の役人Phan Thanh Phuongさんは、「あれは精神障害を負った人の叫び声ですよ。戦時中、ここは爆弾や銃弾に加え、枯葉剤を浴びた場所なのです。現在、村には枯葉剤の後遺症で言語障害や精神障害を負った人が50人近くいます」と説明してくれた。
 Le Van Haiさん(83歳)は一日中、がらんとした粗末な家の中でもう20年近くも鎖で繋がれている息子のVuさん(40歳)の世話をしている。Vuさんが発病したのは24歳のときだった。毎晩叫び声を上げ、誰彼構わず追いかけて行っては殴るという日が続いた。また、手にした物はゴザから壁土、ヒヨコに至るまで全て口に入れ、おいしそうに噛み始めるのだ。Haiさんは、これまでVuさんに殴られ肋骨を3本折り、頭が陥没するという大怪我を負い、やむなく Vuさんの足を鎖で縛ることを決断したのだった。
 Vuさんは治療を受けているのかと訊ねると、Haiさんは、「そんなお金ありませんよ。子供は3人いますが、1人は戦死し、1人は頭がおかしくなり、1人はひどく貧しいのです…。私たち夫婦が死んだら誰がこの子を見てくれるのでしょう」と嘆くのだった。
 2人の精神障害の子供を持つDo Van Hongさん宅の門をくぐると、「おじさん、いらっしゃい。父ですか? 父は今、母を殴ったとこですよ。両親はいつも喧嘩ばかりしているんです。それに僕の足を鎖で縛ったんです。残酷でしょう? おじさん、お金を恵んでください…」という声が聞こえ、振り返ると、そこには体格のいい青年が足を鎖で繋がれていた。家の中から、「Doan、お前また馬鹿なことばかり言って。お客さんがいるのに・・・」とHongさんの声がした。Hongさんはお茶を淹れながら涙目になって、「そりゃあ、辛いですよ。頭にきて、あの子を殺してしまおうかと思うこともしょっちゅうです。でもやはり子供はかわいいのでどうしようもありません。普段はつまらないことをただ口にするだけですが、発作が起きると見境なしに人に切りかかるんですよ」と語った。昼の日差しが強くなるとDoanさんは発作を起こし、手にしたもの全てを滅茶苦茶に投げつける。扉や棚が壊れているのはDoanさんが発作を起こして暴れた結果だ。
 ある時、Doanさんが祖母の家に遊びに行った際、運悪くちょうど発作が起き、鋭い鎌を祖母の頭上に振り下ろしたのだ。幸いにも刃はそれて肩を怪我しただけで済んだ。それでHongさんはDoanさんを家の前に鎖で縛り付けたのだ。それでもHongさん夫婦は不安を拭いきれないでいる。Hongさんの妻は、「去年の大晦日(旧暦)、あの子は近所に住むTu Dangさんの家へ行き、鍵を壊して中に入りナイフで3人に怪我を負わせたんです。私たち夫婦は息を切らしながらあの子を追いかけ捕まえました。治療費に百何十ドルもかかりました。主人がかっとなってすぐあの子を叩くんですけど、いつも私が止めて、そして2人でただ泣くのです」と語る。
 Hongさんの長女Hueさんは、若い頃はPhu My一の美女とも言える器量良しで、求婚する男性が絶えなかった。Hueさんは幸せな結婚生活を送っていたが、2年ほど経ったある日、彼女が異常な行動をしているという噂がHongさんの耳に飛び込んできた。一日中汚い言葉で罵っているとか、夜中に起きてぶつぶつ言いながら家の中を歩き回っているなどというのだ。Hongさんは真相を確かめに婿の実家を訪ねてみたところ、気の触れた我が娘を目にし呆然とした。Hueさんを病院に連れて行くと、枯葉剤による精神障害だと診断された。それから毎月、Hongさん夫婦は交代で娘のために精神安定剤を処方してもらいに病院へ通っている。
 「Tot、Tuoi、Trung、Trinh、Tinh、Trieu、どこだい? 出ておいで」。Lu Van Tienさんは、私が取材に訪れたことを知ると、6人の子供たちを呼んだ。すぐに子供たちが姿を現し私を見て会釈したが、挨拶の代わりに発せられたのは、「ウー、アー」という声だった。子供たちは皆聡明な顔つきをしており、すらりと長身だが、全員言語障害を持っているのだ。これまで数十年に渡り苦労して子供を6人育ててきたが、Tienさんはまだ一度も「お父さん」という言葉を聞いたことがない。1968年に長女が誕生し、全てが上手くいくようにとの願いを込めてTot(「良い」という意味)と名づけた。Totさんは5歳になっても言葉を発しなかったが、Tienさんは、発育が遅いだけに違いないと自分に言い聞かせていた。ところが、同い年の子供たちが学校に通うようになっても、Totさんはまだ言葉を発することが出来なかった。そして後に生まれた5人の子供も皆Totさんと同じだった。言葉の話せる子が欲しいというTienさんの希望は、続けざまに失望に塗り替えられたのだった。知り合いの子供が結婚するという知らせを受ける度に、彼は胸が張り裂けそうになる。Tienさんは、「育てた子供が家庭を築き、幸せになるのを見届けられれば安心して死ねます。私たち夫婦は晩年を迎えても、そんな小さな幸せさえこの目で見ることができないんです」と胸の内を語る。
 Tienさん夫婦は交代で毎日子供たちの世話をしている。朝は妻が市場に出て働き、Tienさんが家で子供を看る。妻が帰宅すると、彼は鍬を担いで畑に出る。友人と遊びに出て悪い道に引き込まれでもしては大変と、夕方子供たちが全員家にいることを確認する。
 Tienさん宅の隣に住むLe Van Luanさんも言語障害の子供が2人いる。Luanさんに会ったとき、彼は溜め息混じりに、「私たち夫婦は人様に意地悪をした覚えはないのに、子供が2人とも口が利けないんです。疲れたときに子供の声でも聞けたらと思っても、それも叶いません」と漏らした。
 このように、これまで数十年、Phu Tuc村のどれだけの家族が枯葉剤に侵された親族を持つゆえに辛酸を舐め、不幸を味わい、人知れぬ苦労をしてきたか計り知れない。そして今後もこの痛みがいつまで続くかわからないのだ。毎晩、叫び声や気味の悪い声に近所中が眠りを妨げられている。彼らは常に、「精神異常者が逃げ出したらどうなるか」という恐怖に怯えながら生活しているのだ。
 私たちはPhu Tuc村を後にしたが、怒りを抑えきれずDoanさんに手を上げたときのHongさんの涙、Vuさんに食事を運ぶときのHaiさんおぼつかない足取り、Tienさんの拭いきれない不安と共に、精神障害、言語障害を負った枯葉剤被害者は今後どうなるのだろうかという思いが走馬灯のように頭の中を駆け巡り続けた。
 
 首相は、戦争参加者、枯葉剤被害者の子供を持つ家族および奇形児出産者に対する補助金の増額を決定した。枯葉剤の影響による不妊症も対象となり、現行の毎月1人あたり10万ドン(約6.7ドル)から30万ドン(約20ドル)に引き上げられる。戦場に赴いた枯葉剤被害者の子供で、国立の学校に通い、給与または生活費を受け取っていない学生は、労働能力喪失率61〜70%の傷病兵の子供と同等の援助を受けることができる。
 集計中の統計データによると、Thanh Hoa省には枯葉剤被害者が7,000人、身体障害者は1万5,800人おり、うち1万200人以上が国の制度の適用を受けている。Lao Cai省では、新たに1,500人以上が補助制度の適用を受けるために必要な書類を作成済みだ。
 ベトナム枯葉剤被害者救援基金のMac Thi Hoa副委員長によると、第3世代として生まれてきた子供たちに枯葉剤被害者が非常に多いという。その数はThanh Hoa省で300人、ハノイで数十人となっている。ベトナム赤十字社は、関連当局に対しこれらの子供たちへの補助制度、政策の見直しおよび補充を引き続き行うと共に、1975年以降の数年間枯葉剤被害地で就労していた人々にも制度を適用するよう対象の拡大を提議している。

(Phap Luat)
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