Pepsiベトナム社のマーケティングマネージャーが、Pepsiグループ本社マーケティングマネージャーに抜擢されたことが、ベトナムのビジネスマンの間で話題となっている。このベトナム人青年Tran
Bao Minhさん(36歳)は、世界有数の清涼飲料メーカーで重要なポストに選ばれた初めてのアジア人となる。
Minhさんには忘れることの出来ない苦い思い出がある。両親の仕事の都合で転校を繰り返さなければならなかったMinhさんは高校1年生の時、Nha TrangからVung Tauの学校に転校した。大胆不敵な性格で、友達をよくからかっていたMinhさんは、周囲の人から「異端児」と見られていた。しかし、得意科目の文学を除き、成績はふるわず、特に数学と物理は非常に成績が悪かった。これを見かねた教師から、女子学生に数学を習うよう指示された時、彼は強いショックを受けた。この時初めて、彼は女子学生より勉強が出来ないことを屈辱と感じたのだった。
そこでMinhさんは高校1年生の夏休み初日、ホーチミン市に行き、数学と物理だけを集中的に勉強することを決めた。この2科目の基礎学力を習得するために、彼は教師と90日間部屋にこもって勉強した。夏休みが明け、誰も予想しなかったことが起こった。Minhさんは2年生の中でトップクラスの成績となり、2学期の終わりには、級長になったのだ。常に「異端児」だった生徒が、数学と物理でトップになったというMinhさんのエピソードは、当時の同級生の間で今でも語り草となっている。
■人生初めての勉強
高い学力を持ったMinhさんにとって、経済大学に20.5点という全省トップの成績で合格することは難しいことではなかった。しかし大学入学後は、6カ月先までの勉強目標しか立てていなかったという(当時、最初の6カ月に基準点を満たした学生はロシア留学生に選ばれた)。聡明で機敏なMinhさんであったが、共産党史の科目に合格しなかったため、目標は達成できなかった。
そのためベトナム国内で国民経済を専攻し、成績は特に優秀という訳でもなく3年半が経ち、卒業試験の時期がやってきた。それは1990年World Cup開催の時期でもあった。サッカーの熱狂的ファンであるMinhさんは、友人の忠告を無視し、家族に隠れ、試験をさぼって、サッカー観戦に熱中したため翌年に再試験を受ける羽目になった。
銀行の頭取を務める父親のお陰で、まだ卒業出来ずにいたMinhさんは、ある大企業のインターンとして受け入れられた。何の刺激もない毎日が過ぎ、インターンでいることに嫌気が差していたある日、Minhさんは叔父の友人に会う機会があった。彼はMinhさんに、「財産も地位も全て手に入れた人が、突然全てを失ってしまうことだってある。でも、あるものを身につけておけばそれを失うことも無いし、常に頭の中に残る。つまり、知識が肝心なんだ」と言った。
Minhさんは、その言葉に強い衝撃を受けた。「あれこれ考えたところで、知識がない人生など意味がない」と考えたMinhさんは、卒業試験に向けて猛勉強し、その後はより高度な知識を求めてオーストラリアに私費留学することを決めた。この時Minhさんの担当教官は経済管理関係のコースを勧めたが、マーケティングに非常に興味を持っていた彼は修士過程に進むことを決め、Metropolitan Business College (MBC)の入学試験を受けた。彼は1991年にこの学校に合格したベトナム人3人のうちの1人となった。
■浮沈と成功
「本日は、大変ユニークな人物を紹介します。最初、私は彼を誤解していたようです。それが間違えであったことに気が付いたのです。PepsiベトナムマーケティングマネージャーのTran Bao Minh氏です」と、2001年12月にバリ島で行われたPepsi社の「アジア・太平洋最優秀マーケティング部長」賞授与式で、Pepsi社アジア・太平洋担当のChris O’Donohue代表取締役は、Minhさんをこのように紹介した。
実はその1年前には、Chris O’Donohue取締役は、ベトナム人がマーケティングマネージャーになることに賛成しなかった。
卒業後帰国したのち、MinhさんはIntel社で商品広告の仕事を始めた。仕事の内容に比べ、給料は高かったが、「長期にわたるマーケティング戦略を立てる」、という自分の希望に合った内容ではなかった。そこでMinhさんは、IBC社に転職し、商品管理をすることになった。しかし、修士過程で身につけたマーケティングの専門知識は、その当時、経験豊富な経済学者と比べ、ただの理論としか見なされていなかった。Minhさんは社内で「使い物にならない」と見なされ、3年間は出勤するよりもビリヤード場で時間をつぶしていることのほうが多かった。
会社で重要視されなかったのに、Minhさんが転職しなかったのはなぜだろうか。「会社の潜在能力と変化を信じていました。消費者に商品を提供するには、効果的なマーケティング戦略がなくては、会社は成長できませんから」と彼は話す。
彼の信念が実現するのは、3年以上の時が過ぎてからだった。1999年、市場シェアの落ち込みが深刻だったPepsi社は、ベトナム人の代わりに多くの外国人駐在員を派遣し、マーケティング事業に専念するようになった。しかし、当時Minhさんはまだ、広告看板の掲示に関して、上司の指示に従うだけの商標管理マネージャーに過ぎなかった彼にチャンスが訪れた。新任されたGau Tham代表取締役の承認により、直接各部署の責任者たちと面接を行った結果、Minhさんは自分の専攻を生かした仕事を実際に出来るようになった。連日、午前8時から午後10時まで、彼は自分の若い部下たちと一緒に商品販売プログラムの実現を目指して議論し、公共メディアマーケティングに関する計画を提案した。しかし、外国人のマーケティングマネージャーがポストを離れても、Minhさんはその後任には選ばれなかった。
再びチャンスが訪れたのは、ベトナム人のPham Phu Ngoc Trai代表取締役が、自身の権限によりMinhさんをエリアマネージャーに推薦した時である。この推薦を受け、Pepsiグループでアジア・太平洋担当のChris O’Donohue代表取締役は、Minhさんを承認せざるを得なかった。こうして、彼の希望は現実のものとなった。Minhさんが提唱した多くのマーケティングプログラムは、世界各地で大きな反響を呼んだ。その中でも最も印象深いのは、World Star ChallengerやPepsiサッカーテクニック大会(東南アジアベストマーケティングプログラム賞受賞)などの企画である。2001年10月、Minhさんは、ついにPepsi本社のマーケティングマネージャーに抜擢された。
Minhさんの創造力は留まることを知らず、仕事に熱中した。その結果、2002年、Pepsi社は、AquafinaやMirindaなどの清涼飲料水から果実飲料に至るまで、新商品で大きな成功を収めた。しかし、マーケティング戦略で最も成功したのは、強壮飲料のSting(2002年)やTwister(2003年)の市場投入だった。強壮飲料の主要成分は、アジア市場で研究されてきたタウリンと、朝鮮人参が好まれるが、Minhさんは、この物質を強壮飲料に配合し、消費者に解りやすいものを開発することにした。ベトナム人がオレンジジュースに氷と砂糖を入れて飲む習慣があるという研究から、Minhさんは清涼飲料水に砂糖と粉末オレンジを混ぜ、インド版のTwisterに代わり(ベジタリアン料理用の濃縮オレンジを使用)、現在のベトナム版商品Twisterというオレンジ飲料を開発した。
2003年はPepsiベトナム社が成功を収めた年だと言えるだろう。各商品の売上は、Stingが30%増、Aquafinaは80%増、果実飲料は150%増で、Pepsi、PepsiX、Mirindaなどの主力商品も9%増となった。この結果に、Minhさんは大きく貢献していると言えるだろう。
Minhさんについて、Pham Phu Ngoc Trai代表取締役は「Minhは、マーケティングマネージャーという元来外国人が担うポストに就任した初めてのベトナム人となり、アメリカのPepsiグループの『総司令部』に選ばれたことは、ベトナムの若者にとって力強い存在だと言えます」と語った。
■将来の展望
ロンドンで、グループ最高責任者との、45分以上にわたる面談の後、Tran Bao MinhはPepsiグループのマーケティングマネージャーという重要ポストを正式に任された。
Q: 年間消費量1,800万ケースと言う小さなベトナム市場から、消費量約30億ケース(アメリカ、カナダを除く)という市場のマーケティング担当になって、大変なことは何ですか。
A: 信頼されている分、責任も重大です。一番大変なのは、アジア人やベトナム人の能力を証明しなければならないことです。しかし、プロフェッショナルな部下の助けを借り、また、豊かな経験に支えられ、私にはそれが出来ると信じています。グループが私に求めているのは創造力ですが、これは我々ベトナム人が少なからず持っているものです。
Q: 若いマネージャーとして、ご自身の仕事についてどのような展望をお持ちですか。
A: 商品企画は多様化し続けていますが、「地域性」が見られます。つまり、各地域や国家における消費者の習慣に基づいて商品が開発されているのです。
Q: 成功者として、若者へのアドバイスは何かありますか。
A: 自信を持ち、強く望むだけではなく、勉強や仕事に熱中すること、さらに忍耐強くなければいけません。
「人生とは『征服』のことである。自分を抑制し皆を統制してこそ、多くの人に利益をもたらすことが出来るのだ」というMinhさんの思いが一瞬垣間見えた。哲学的に聞こえるが、現在の若者が人生で渇望することでもある。
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