乾季がやって来ると、Tay Nguyen地域には全国各地から多くの人々が出稼ぎに訪れる。その中には物乞いをしにやって来る人も少なくない。
キャスターのついた板にうつ伏せに横たわり、手で地面をかいて移動する痩せこけて真っ黒な顔をした両足が不自由な人、あるいは両手を失った人、目が不自由な人たちが慈悲を求めて町を徘徊する。人々は彼らの不幸な境遇に同情し、財布から数千ドンを取り出すことでその哀しみを分かち合おうとする。
Gia Lai省Pleiku東部でバイクタクシーの運転手をしているTさんは、毎日約束の時間になるとPham Ngoc Tr.さんという物乞いの男性を迎えに行く。日給10万ドン(約6.7ドル)で雇われているTさんは、「朝はかなり早いけど、Tr.さんの送り迎えをするだけなんだ。言われた場所に連れて行って、夜になると約束した場所に迎えに行くんだ。寺への参拝者が多い正月、祝祭日、旧暦の1日と15日には寺の門まで連れて行く。どこかで祭や行事があればそこへ向かう。仕事はそれだけさ。彼のように毎日使ってくれるお客さんは本当にありがたいね」と話す。
Tさんに住所を教えてもらい、PleikuのTra Ba街区にある長屋にTr.さんを訪ねた。長屋の貸し部屋11室のうち5室は“物乞い家族”が入居しているという。ここの家賃は1カ月15万〜20万ドン(約10〜13.3ドル)だ。大家の女性は「入居者の中で一番多いのは物乞いなんですよ。初めは本当に家賃を払ってくれるのか心配でたまりませんでした。ところが、毎月きちんと払ってくれるんです。彼らはいつも朝早く部屋を出て夜遅くに戻ってきます」と話した。
Tr.さんはBinh Thuan省Ham Tan県出身で、10年以上前から両足が不自由になり、物乞いをするようになった。彼は昨年半ば、10歳以上年下の内縁の妻と7人いる子供のうち4人を連れてPleikuにやって来て、この部屋に住むようになった。家族の中で稼ぎ手は彼1人だが、高級バイク2台の他、テレビ、ガスコンロなどの家財道具を揃えた。近所の人は「物乞いがみんな苦しい生活をしていると思ったら大間違いさ。Tr.さん一家はうちの何倍も良い生活をしているよ。Tr.さん1人の稼ぎで田舎にいる子供も合わせて8人も養ってるんだから大したもんだよ。毎日 “仕事”から帰ってくると、嫁さんが抱きかかえて家の中に入れて、お湯で体を洗って服を着替えさせた後は、香水までつけてやるんだよ。食事が終わるとお洒落して、3輪に改造したバイクに嫁さんと子供を乗せてドライブに出かけるんだ」と教えてくれた。
毎朝、彼らは破れてボロボロになった服をまとい、迎えのバイクが来ると抱き上げて乗せてもらい出勤するのだ。大家の女性は「うちに住んでる物乞いの人の平均日収は50万ドン(約33ドル)だそうですよ。今年の旧正月の元旦なんか、Tr.さんはお寺で数時間“仕事”しただけで200万ドン(約133.3ドル)以上も稼いだそうです。いい仕事に就いててもなかなかこうはいきませんよ…」と言う。
Tr.さんの“同業者”であるHさんは、1955年生まれでThua Thien−Hue省Phu Anの出身だ。妻と2番目の子供を連れて昨年10月から同じ長屋に住んでいる。Hさんは「戦争中に地雷を踏んで右足を吹っ飛ばされてね。左足も重傷で、松葉杖が無いと歩けなくなったんだ。田舎に住んでいた頃は、宝くじを売り歩いたり、ガスボンベの充填をやったりしたけど大した稼ぎにならなくてね。それで知り合いに誘われてここに来たんだ。この仕事は稼げるけど、ボロボロに破れた服を着なくちゃいけないし、公安やパトロール隊に見つかって収容所に送られても何とか抜け出して、またこの仕事を続けないと、妻と2人の子供は養っていけないよ。乾季が終わったら、家族で中部か南部に引っ越すつもりなんだ」と話した。
彼ら物乞いは決まって、「これ以上破れない」というほどボロボロの服を着て、仕事中は常に貧困を嘆いている。しかし彼らは現在置かれている状況でも、もっと誇り高い人生を築くことが出来るはずだ。心身ともに健康な人間であれば、家族は今の生活が一時的なものに過ぎず、良識に欠けていることを一刻も早く認識するべきである。政府は、一部の省および町で物乞い撲滅のための対策を講じたが、今後、Gia Lai省でも実施することが望ましい。
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